秋廣平六 伝承では1757年に秋元村に生まれ、22才の時、江戸に出て材木や薪炭の取引に従事。1781年、無人島探索を幕府に申請し参加。伊豆の島々を回る。その後、大島に良い港が無かったことから、幕府に伊豆大島の波浮港開鑿を建議。開港した港は大島繁栄の礎となった。故郷にジャガイモを伝えたといわれ、近隣ではこれを「平六イモ」ともいう。 SEIWA